さて、その買い求めた本「多読多聴マガジン vol.1」を読んでみると「とにかく繰り返せ。後をついて繰り返せ。意味なんかわからなくていい、いやむしろ意味を考えちゃいけない!」というのが宗旨のようでした。 今までやったことがない方法ではあったので「意味を考えないなんてそんなのアリなのかな」と思いつつもとりあえずラクな方法ではあるので試してみます。といってもなかなか声を出せる場所がないのでもごもごもごと口のなかでつぶやくような感じですが、驚いたことに繰り返しているうちになんとなく英語が「言葉」に聞こえてきたのです。全然意味はわからないのですが、だらだら続いている不快な連続音だった英語が、とりあえず単語要素に一部分解できて、とりあえず the とか a とか your とかがリズムよく挿入されてるのが分かる程度、、、ではあるのですが、確かにこれって言葉なんだ、と初めて感じたのでした。


 この方法を知ってから、昔買ってあった DS用の「英語漬け」を再開(というにはあまりにもその前に遊んでいなかったのですが)し、こちらでも文章のリズム感が納得いくまで何度も繰り返し聞き、体を揺すりながら一緒にリズムをとっていくことを繰り返しました。まぁ気分次第で、日によってはとにかく聞き取って書き取りができたらそれでよしとしている日もありますが、これくらいの自然体な姿勢が続けるコツでもあるのかなと思い、特に厳しい制約を自分に課すことはしませんでした。 ナレーションと一緒に英語のリズムが一致するのが心地よいからやるのであって、まぁいいかと思う日は楽しめないのだろうから適当にやる、というその姿勢は「多読多聴マガジン」の教えのひとつでもある「つまらなくなったら、やめること」に救われたところが大きいと思います。


 この姿勢はその後、チェコ語などに首をつっこんでみたときにも役にたったように思います。もちろん話せるようになるレベルには程遠いのですが、チェコ語のリズムや音色(私の一番好きなロシア語に、どことなく似ているんですよ〜)を楽しめました。


 さて、そんな感じで英語に向けていい空気になっていたものの、そのままで英語がわかるようになるのかそれとも今までと同じように飽きて終わってしまうのかが見えないまま1年ちょっと「多読多超」(主に多聴)を続けていたある日、私にとっての大事件が起こりました。


(つづく)